9月某日『小川洋子の旅エッセイで、私もアンネを辿る』

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以前、片桐はいりの旅エッセイが面白かったという記事を書いたのだけれど、今回読んだ小川洋子の『アンネ・フランクの記憶』も読み応えのある紀行文だった。

記事8月某日『旅エッセイ 片桐はいりvs角田光代』

 

作家・小川洋子さんの文章の起源はかの有名な『アンネの日記』だそうだ。

彼女がアンネと同年代だった頃、輪郭を捉えることの出来なかった心のモヤモヤや不安がアンネの日記には言葉で書かれていた。

言葉とはこれほど自由自在に人の内面を表現してくれるものなのかと驚いた。

すぐにわたしはアンネの真似をして日記をつけ始めた。(P12)

 

この旅エッセイは、遠足や修学旅行さえ仮病を使って休むほど旅行嫌いな著者が、死ぬまでに必ず自分の目で見ておきたいと思っていたアンネ・フランクの人生の足跡を辿る旅の記録だ。

 

隠れ家や収容所はもちろん、平和に暮らしていた時に通った学校や、アンネが日記を購入したお店、フランク家と親交があった人にも会いに行ったりする。

 

『フランク家を支えた人物に話が聞ける』と書かれた文章を見付けた時、この悲劇はこんなにも最近の事だったのかとビックリして思わず調べてしまった。1940年代の出来事だった。

 

★★★★

素直に面白かった。

日本語で”面白い”という字面(じづら)は、腹を抱えて笑うなんてイメージが大きいが、当然そんな意味ではない。ここで言う”面白い”は知識が満たされたり、心が震えたり、そういう場面が多かったという意味である。

 

アンネの日記』は私も小学生の時か中学生の時に読んだ。

内容はザっとした結末とナチスユダヤ人といったキーワードを覚えているぐらいだったけれど躓くことなく読むことが出来たので、『アンネの日記』を知らずとも読むことのできるエッセイだと思う。

 

小川洋子さんは『アンネの日記』を初めて読んだ時、まるでアンネと友達のような気がしたと書かれている。そしていつの間にか彼女の年齢を越し、母親エーディットの年齢に近付くにつれて、母親のような目線で彼女を想うようになったとも書かれていた。

 

実際に、この旅エッセイの中にそれはふんだんに溢れていた。

もし私が隠れ家の観光に行ったら不幸の跡を見付けようと、『可哀そうなアンネ』を探そうとしたと思う。

だけど、小川洋子さんはアンネがここで普通に暮らしていた痕跡や、幸せに暮らしていた跡に特に注目されていたように思う。彼女の生活が少しでも楽しく幸せでありますように…まるで親が子に祈るような思いが文章の至る所から感じられた。

 

柱に付けられた身長を測った傷跡に、小川洋子さんが隠れ家で成長したアンネを想像するシーンがある。『思っていたよりも背が高い。』

 

私はこのエッセイで、よく見るアンネ・フランクの写真が死ぬ随分と前のものだと知った。隠れて暮らしていた彼女たちには、写真を残すことすら命取りになりかねないことだったから、隠れ家生活が始まる前の平穏に暮らしていた時の写真しかないのだそうだ。

 

Wikipediaで調べてみたところ、これだけ有名なアンネ・フランクだけれど、彼女の明確な死亡日は分かっていない。(オランダ赤十字は3/31としているが、生存者の証言によると2月末~3月頭が濃厚だと推測されている)

 

今でこそ象徴のような存在だけれど、その当時は死亡日を明確にする必要のないような特別じゃない普通の女の子だったのだと私に強く感じさせ、不条理さに何とも言えない気持ちになるのである。

 

小川洋子さんは『アンネの日記』を”とある女の子がユダヤ人迫害に巻き込まれた時に書いたモノ”と捉えているけれども、私は”ユダヤ人迫害に巻き込まれた女の子が書いたモノ”と捉えてしまっている。

 

だからか、私の記憶の中の『アンネの日記』はいつも暗く湿っぽいし、アンネもどこか偶像っぽい存在だったりする。だけど”日記”なのだから楽しい出来事も、人間らしい愚痴も書かれていたはずなのだ。

 

読んだのは10年以上も前だけれど、今読めば私も小川洋子さんのように、お洒落と文章を書くことが好きなアンネという名の1人の女の子を、もっと生身の人間として感じることができるだろうか。

 

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