『人生は選択の連続だ』と言われる。
この名言はシェイクスピアの”ハムレット”に出てくる「Life is a series of choices.」からきているそうだ。
確かに私たちは、朝ごはんに何を食べようとか何を着ようなんて小さなことから、進学や就職など大きなことまであらゆることを選んで今ココにいる。
しかしながらこれらの選択は本当に”自分”で選んできたものだったのだろうか。
大人や世間が良しとすることばかりを選んできた私は、自分の人生の大きな選択の時に物事を選択する基準が全くなかった。好きなこともやりたいことも分からなくなっていた。
選択先を他人の顔色に委ねるという生き方を選択したことになるのだろうけど、自分の基準で選ぶことを放棄してきたしっぺ返しに、選択力が全く育っていなかったのである。
学生の時はそれでもやっていけたのに、もっと多種多様な生き方が許される大人になった時、私は『どれを選んでよいのか』『どう選べば良いのか』分からず立ち尽くすことが増えたように思う。「好きな事を選べば良いんだよ。」それが分からないと言うのに。
だけど、それもそのはず。
クロールを泳ごうと思ったらバタ足から学ぶように、”選択力”も『あなたの人生における好きなことは?』なんてビックスケールではなくもっと身近で小規模なことから始めるべきだったのだ。
…と、松浦弥太郎のエッセイを読んでいて思った。
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幼い頃、絵が好きな子どもだった僕をデパートの美術館に連れて行くたび、母はこんなことを言いました。
「さあ、どの絵がいいか選んでみなさい。買って帰っておうちに飾るつもりで」
もちろん手が届く値段ではありませんが、自分の部屋に飾ると思えば、真剣になります。一〇〇点の作品を漠然と眺めるより、たった一枚を選んで自分のものにするという目で見ていけば、好き・嫌いを超えた判断基準が研ぎ澄まされます。
(中略)
電車に乗ったときはあたりを見回し、「この車両で一人友だちをつくるとしたら誰がいいだろう?」と考えてみます。休日の新聞に中古住宅のチラシが挟まれていたら、買う気はなくても「どの家を買おうか、買う決め手はなんだろう?」と思いをめぐらせます。
これらは選ぶ訓練であると同時に、直感もきたえられ、想像する訓練にもなります。(P.169)
漠然と「好きな事は何だろう?」と考えるよりもよっぽど答えを導きやすいと思った。
そして、これらは正解も不正解もなく、世間体を気にすることでもない。まさに自分の中の判断基準の柱を作り、そして選択力を鍛えるのにピッタリだと思った。
「1度は行きたい世界遺産TOP10!」なんて特集を見ていると1位よりも3位ぐらいの場所の方が好きだなあと思ったりする。それだけで終わらず、どこに惹かれたのだろうともう1歩踏み込んで考えられていたら…今はまた違った人生を歩んでいたのかもしれない。
何にせよ、少し周りを見渡すと”選択力”を鍛える題材が溢れんばかりに存在する。
自分の人生に直結しないようなクエスチョンだからこそ、気楽に、そして世間体を気にしない本心で物事を選択することが出来る。
こんな些細な問いかけを続けていけば、他人軸ではなく自分軸で人生を歩む、そのための”選択力”が段々と身についてくるはずだ。