11月某日『悪意との距離が近過ぎる』

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ここ数日、某若手俳優が車で事故を起こしたことが大々的なニュースになっている。

バラエティを観た後、情報番組が始まる前、情報番組のCMで『○○容疑者、釈放。謝罪。』なんて短い映像が流れた。

 

バラエティを見終わって、お風呂に入る気満々だった母がその時ポツリと「あ、見なくちゃ」と言葉を漏らしたことが忘れられない。

 

”見なくちゃ”…なのだろうか?

彼のファンだったら本人の姿や言葉を見聞きしたいのは理解できる。逆にアンチだったとしても叩く材料として見たがるのは分かる。

その芸能人に対して何にも好感も嫌悪も持っていない人間が「見なくちゃ」だって。変なの。

 

まるで『他人の不幸は蜜の味』みたいなその姿勢にゾッとした。

だって、これが彼の結婚会見だったら見ただろうか。興味のない芸能人のポジティブなニュースだったら「見なきゃ」なんて思わないじゃない。

 

若い俳優が頭を下げて詫びるのを見たかっただけじゃないのか。

 

昔はそれほどゴシップにのめり込む人じゃなかった。

彼女とゴシップを繋げてしまったのはネットニュースだ。暇さえあれば見ているように思う。

 

これは私の考えだけれど、ネットニュースにはどんな記事でも少し毒っけが込められている。twitterか大衆掲示板か、どこで拾ってきたのか知らないけれど、ネガティブなコメントが引用されていることも多い。

 

個人的には、文章でお金を貰っている人間が一般人のツイートを引用すな!とそもそも思う。

私の記事を読むと「あー、母親と暮らしてるんだな」と読み取れるだろうが、ネットなんていくらでも嘘がつける場所だ。母親じゃなくて父親のことかもしれないし、母と娘の立場が逆かもしれない。そもそも母親のエピソードは作り話かもしれない。

 

ツイート主が本音を言っているのか嘘をついているのかなんて知りようがないのである。

だけど大手サイトのニュースに載った瞬間、その意見は虚構じゃなく真実として扱われる。その危険性をちっとも考えていないのだろうか?

 

ネットニュースはそこまであからさまじゃないけれど、基本的にネットの世界は『否定』で溢れている。

そりゃそうだ。だって誰が聞いたって不快にならないことは現実で言えば良い。ネットとは”匿名でしか語れないような思い”が押し寄せる場所でもあるのだから。

 

初めて2ちゃんねる(現5ちゃんねる)を開いてしまった時、そこに溢れる煽りや悪意、否定が渦巻いた雰囲気がすごく怖かった。心臓がバクバクして急いでページを閉じたことを今でも覚えている。

 

そんな私も今では平気な顔でそれらのページが読めるようになってしまった。

慣れって怖い。誰かを蔑むような言葉のやり取りを目撃しても、拒否反応すら出なくなっているなんて怖い。

 

拒否が起きない程度にじわじわ毒を盛られ続けて、いつの間にか自分自身が毒(批判や不満をばら撒く人間)になっている、なんてことは絶対に避けたい。

 

母親だけじゃない。私だってネットとの距離は気を付けなければ。

さて、そのネット記事は本当に開く必要があるだろうか?

 

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