11月某日『お金の使い方にはその人の人生観が透けて見える』

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『良いお金の使い方』と調べてみると「”人のために使いましょう”それが気持ちの良いお金の使い方です!」と書いてあるサイトはすごく多い。

 

確かにプレゼントを贈ったり贈られたり…それは心温まるイベントだと思うから否定はしないのだけど、『良いお金の使い方』と検索する人が求めている答えとは少しずれている気がする。

 

私も考えてみたのだけど、誰にでも通用する100点満点の『お金の使い方』なんて存在しないのかもしれないな、と思った。だけど人それぞれに”納得できる”使い方はあるんじゃないか、とも思った。

 

【太陽のパスタ、豆のスープ】という小説にこんな一節が出てくる。

お金の使い方って、つまりはその人を表すみたいだ。何にどれだけお金を使うかにその人の人生が現れるような気がしたのだ。(P204)

 

先日一億人総『自分株式会社CEO』社会 という記事を書いたのだけど、「”何となく良さそう”で消費活動をするのは良くない」ということは理解できても、その先の「じゃあ自分にとって良い消費とは?」までは考えられていなかったなと思う。

 

ここ最近ずっとこんな情勢で、生活必需品の買い物はしても嗜好品の買い物をすることがなかったので、そこまで考えずに満足してしまっていた。

 

言われてみると【太陽のパスタ、豆のスープ】に出てきた”お金の使い方にその人が現れる”というのは、何だか分かる気がする。

 

私のお金の使い方を思い浮かべた時に、”好きで好きで堪らなくてお金を払った物事”と”こういう風に見られたいというちょっとした見栄でお金を払った物事”が存在していた。

何を大事にしているのか、どう見られたいのか、…がお金の使い方を思い出してみると確かに丸裸だった。

 

これを逆手にとって、どんな風に生きていきたいか、次にその人生を送る人は何を大切にしているか、を考えてお金の使い方を変えていけば、人生も望んだ方向に変わっていくのでは?と思う。

 

例えば、「美味しい食事こそ幸せだ!食事を大事にする日々を過ごしたい!」と思っている人が服屋さんに行っても、車屋さんに行っても、望んだ人生にはならないのである。食を大事にする生活をしたいのならば、調理器具を充実させたり、料理本や料理教室で学ぶことにお金を使うのが最短ルートなわけで。

 

【太陽のパスタ、豆のスープ】では「お金の使い方に人生が現れるよ」ってあるんだけど、進みたい人生の方向性をザッと決めてお金の使い方の方向を調整することで、案外、望んだ生き様に近いモノは手に入るんじゃないかと私は思った。

 

『自分にプラスになるような使い方を』なんて私には抽象的すぎて分からなかったけれど、そもそも自分は何を大切にしたいのか、交友関係なのか、仕事なのか、食事なのか、運動なのか、趣味なのか…を考えてみると、何にお金を使うのが”自分のため”になるのかボンヤリと方向性が見えてくる気がする。

 

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