1月某日『大久保佳代子のエッセイに釣られて数年ぶりのインストール』

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何度か機種変もしながら、スマホを使い始めてもう10年。

学生の頃はあれこれとゲームアプリを取ったり消したりしていた私も、社会人になるちょっと前くらいからはもうサッパリ。

 

普段使うアプリも決まってくるし、新しいアプリが必要になることもなく、アプリが増えることなく数年を過ごしてきた。

 

そんな私が5年ぶりくらいにアプリをインストールしました。『ぴあ』ってアプリなんですけどね。

 

書籍で出ているエッセイもウェブで連載されているエッセイもよく読む人間で、その日もネットでWEBエッセイを検索していたら、『ぴあ』で連載しているオアシズの大久保さんのエッセイに辿り着いたんだけど、最新から10話くらいまでしかノラで(アプリをインストールせず)読むことができなくて。

どうしても他の話も読みたくてインストールしてしまいました。『ぴあ』の思う壺です。

 

そのエッセイが面白いかどうかは個人の好みによるだろうけど、自己顕示欲が満たされた人が書く文章で私は好きだなあと思った。

 

「良い事を言ってやろう」「良い人に見えるように書こう」「ここで笑かしてやろう」みたいな気持ちが透けちゃっている文章ってあるじゃないですか。私の文章とかまさにソレなんですけど。

 

やっぱあそこまで売れてると良い子ちゃんぶって共感を獲得する必要がないんだろうなあ、と。

本音ベースな文章って矛盾がないからすごく読みやすいし、何より大久保さんにしか書けない内容が綴られているのがすごく良いなあと思った。

 

私が読みたいのはこういうその人にしか書けないエッセイだし、私がブログで書いていきたいのもこういう個人色の強い日記だよなあと改めて思った。

 

でも、世に蔓延る(はびこる)『ブログ論』っつーもんが決意を揺すぶってくるんですよ。

「人の役に立つことを書きましょう」とか「あなたの日常なんて他人にとってはゴミです」とか。

 

役に立つ知識っていうのはその手の専門家や、専門家と繋がりがあるちゃんとしたライターさんにお任せして、一般人の私はもっと気楽に、それこそただの日記で良いのではないかと。

 

でも、PVが増えるとやっぱ嬉しくて「(自分の満足感よりも)もっとPVが増える記事を」とか考えちゃうんだよなァァァ!ばかばかばか!

 

lp.p.pia.jp