1月某日『理想の死に方のお手本』

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『理想の死に方のお手本』なんてタイトルを付けているけれど、自殺マニュアルじゃないです。

『死』って文字があるだけで、そんなつもりがなくても雰囲気が勝手におどろおどろしくなっちゃって、もうやんなっちゃう。

 

祖父が15年くらい前に死んじゃったのだけど、その逝き方が私の理想だなあと思う。

私の祖父は寒さが和らいできた冬の日、寝たまま死んでいて、苦しんで逝ったのか苦しまずに逝ったのか、隣の布団で寝ていた祖母にさえ気が付かれることなく、ひっそり死んだ。

たしかに寡黙な人だったけれど、こんな時まで無口だなんて。

 

寝ながら逝けたということも良いなあと思うのだけど、ひっそり逝けたってところが何よりも私も理想だなあと思う。

 

孤独死』が怖いだなんだと世間の多くの人は言うけれど、私はむしろひっそり逝きたい派だったりする。

 

ドラマなんかで、死に際にギュウギュウと手を握られ「頑張って!」「逝かないで!」なんてシーンがあるけれど、これが世の理想なのだろうか。

 

このドラマチックなやり時の甲斐あって、ピピッ「先生、心拍が!」てな具合で奇跡的に蘇り、その先何年か人生が続くようなことがあれば「現世に引き戻してくれてありがとう」だけどさ。

 

あと少しで意識を飛ばして楽に逝けるって時に「逝かないで~~!」なんて、たった数秒・数分のために苦しみを延長されちゃ敵わんなあと思ったりするのです、私は。

 

死後何日も放置されて、虫がわいて…みたいなことは嫌だなあと思うけれど、これだって神様視点というか、実際は自分の死んだ後のことなんて知りようがないからなあ。発見しちゃった人ごめんなさいって感じ。

 

道端やどこかのお店など家の外で天に召されれば、虫がわくようなことは起こらないだろうけど、それはそれでねえ?

 

死ぬ瞬間は一人で全然構わないと思っている。

 

祖父が本当に寝ているみたいに『眠り姫』ならぬ『眠り爺』状態で逝けたので、これが1番だなあと憧れているのだけれど、ベッドの上でなんてそこまで欲は言わない。せめて自分の城の中でひっそり逝けたら良いな。

 

というか、そもそも『孤独じゃない死』って何なんだろうか。

一緒にあの世へ行ってくれるわけでもなかろう。結局、死ぬときはみんなひとり(孤独)なんじゃないか。

 

生まれるときも一人、死ぬときも一人』という言葉がある。

解釈は様々で「だから孤独は憂い嘆くようなことではない」と噛み砕く人もいれば「だから生きている間は人を愛し、愛されなさい」と噛み砕く人もいる。

 

孤独死』ばかりがフィーチャーされるが、死に方なんて老衰・病死と心構えが出来るものから、事件・事故死、災害死、急死みたいな予期せずやってくるものもあって、そもそも選べるものじゃないんじゃないかと思ったりもする。

 

上で言ったように何人集まろうとたった1人たりともあの世へ同行してくれない。持っていけるのは、生きている間に手に入れた思い出と人生への満足感だけなのだ。

 

だから死ぬ瞬間に人がそばにいたかどうかはどうでも良くて、生きている間に物理的じゃなくて精神的な意味で本人が「孤独じゃなかった」と思えていたことの方がずっと大事だと思うんですよね。

 

その”孤独じゃない”を作ってくれるのは人である必要もないと個人的には思っていて、ペットでも勉強でも芸術でも文学でも、何でも良いと思うんですよね。傍目には”孤独死”に見えたとしても。

 

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