1月某日『中毒性があるものは美味である』

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スナック菓子は体に良くないと分かっていながら、食べ始めるとスッカラカンになるまで手が止まらない魔の食べ物だ。

 

「人生で無駄だったと思う時間は?」という質問に、スマホゲーム、パチンコ、YouTubeを挙げる人が多いらしい。

熱が冷めて振り返った時「カーッ!あれだけ時間を使ったのに何ひとつ成長してねぇ」と思うそうだ。だけど、最中はやめられない、止まらない。終わり(ゴール)がなく、何時間も何日も遊べてしまうというのも共通の特徴だろうか。

 

私もパズドラやツムツムにドハマりしていた時期があって、課金するようなことはなかったけれど、ハートが回復するやいなやすぐさま指でシュシュシュシューって。

当時はもうずっとスマホをいじっている状態で、「こりゃイカンぞ」って断腸の思いでゲームアプリを全てアンインストールしてからは、どんなに話題になっていてもゲーム系のアプリはインストールしたことがない。

 

だってね、『ちょっとだけ触ったらお終いにしよう』なんて無理だったんだもん。

 

久しく連絡を取っていない友人からアプリへのお誘いメッセージが届いたりしてさ、明らかにポイント目当てだろーってね。しかもそのメッセージだけポンッてくるの。

 

ギャンブル依存症の人って最終的には知人レベルの人にもお金を無心したりするようになるらしくて、「それと一緒じゃん!」って今では思う。

”ハマっている”なんて可愛いもんじゃないよ。ずっと連絡取ってなかった人に”お友達紹介特典”目的でメッセージを送っちゃうレベルなんて中毒だよ、依存だよ、薬物かよ。今は知らないけれど、スマホが出始めたときは本当に見境が無くなってしまった人がいっぱいいた。

 

…とまあ、こんな説教臭いことを言っている私も今はYouTubeにガッツリで、困っている。アプリみたいに捨てれば解決というわけにもいかず、検索で辿り着けてしまうのが難儀だ。

 

料理動画や筋トレ動画などプラスになりそうな動画を観ることもあるし、「YouTubeで大学に行きました」って広告があったりするくらいだからYouTubeの動画全てが無駄な時間だった…ってことはないけれど、YouTubeタイムの一体何%が身になっているかと考えると「やっちまったなあー」って感情がじわじわ募る。

 

情けない話「動画を観終わった後に〇△★をしよう」と思っていても、実際に実行できたことは少ない。時間が許すかぎりひたすら観てしまうから。

せめてもの抵抗として、動画を観る前に本を手に取ってみたり、軽い筋トレをしてみたり、YouTubeの時間を減らせないか、身になりそうなことをする時間に変えていけないか、と努めてはいるのだけど。

 

今読んでいる小説『22年目の告白』にこんな言葉が出てくる。

人間にとって一番大事なもの。それは時間だ。(P90)

まあ、この先に『だから強奪してやったんですよ、その人物が生きてきた過去、これから生きたであろう未来もね』って殺人犯のセリフに繋がるんだけど。

 

命も買えると言われる時代、ある種”未来の時間”を延長できるとも捉えられるけれど、”今という時間”だけは買えないものなんだなあと思う。若さは延長できないっていうかさ。

 

YouTubeもパチンコもスマホゲームも本人が「楽しいから良いんだ」って言うのなら何ひとつ問題はないのだけど、『この時間意味ないよなあ』と思ってしまった私は、改善しなきゃいけない段階にきているのだと思うのです。

 

…ってこの反省するの何回目よ。

それぐらいハマっちゃうと抜け出せないものだから、幼い頃にスマホがなかったのは幸いだったと思う。パカパカ携帯もテスト勉強には強敵だったけど、スマホほどじゃなかったしね。

 

YouTubeを観ている時間はそりゃ楽しいけれど、遠い将来、この時間に何かを積み上げておけば良かったと思うことが起こるんじゃないかと、後悔する時がくるんじゃないかと、ふとそんなことを考えてしまうのです。