吉本ばななの【白河夜船】を読んでいて、何でそんな暗いねん!と心の中でつっこんだ。そんなダメな部分ばかり注視するのではなく、もっと恵まれた部分を拾えないものかね、と。
『幸せになりだきゃ幸せのハードルを下げろ(ちょっとしたことにも感謝するのがコツです)』と言われる。だけど生活水準を下げるのが難しいように、一度『当たり前・普通』として無意識に植え付けられた感覚はなかなか矯正できないものなのかもしれないなあと思う。
今年はこんなご時世なもので、「初詣はどうしようか?」って家族会議がなされたのだけど、「各々、近所の神社で済ませよう」という結論に至った。
私の頭の中に浮かんだのは、「毎年有名な神社へ参拝しているけれど神様にはこれっぽっちも願いが届いている気もしないし、行く意味ある?もうやめて良くない?」なんて考えだった。
しかしながら、行かないのも何だか罰当たりな気がして、ポチポチとスマホで調べてみる。
初詣とは神様に「望みを叶えて下さいオネガイシマス!!」ではなく、「昨年1年も無事に過ごせました。ありがとうございました」と感謝を伝えるための習わしである。らしい。
つまり、何でもない日々っていうのは感謝するに等しいほど尊いものであるって意味と同義だと思う。
日常に点数を付けるとした何点?
私は何も起きなかった日は50点ぐらいなのだと思ってずっと生きてきた。でも「平凡な日は感謝するほど素晴らしいもの」と考えると、70点ぐらいつけても良いんじゃないかと思えてきたりする。
ちょっと考えてみれば100点満点の日なんてそうそう起きることがない。それなのに、100点に近くないと「ダメな1日だった~」と感想を抱くのはあまりにも評価が厳しすぎる気がする。
100点の日って何だろう。旅行に行った、プロポーズをした(された)、子どもが生まれた、長年憧れていた物を手に入れた…。
そんなスペシャルな日が人生でバンバン起きるかと言われると、やっぱりそれは難しい。
だから特別な事が起きないことを嘆いて生きるのは、あまりにもしんどい心の持ち方だと思う。だって人生の大半は特別じゃない普通の日なのだ。
100点の日を勝ち取りいく努力をするのも1つの生き方なのだろうけど、人生の9割は日常なわけだから70点の日常を73点に出来たら、それもまた今よりも何だか人生が楽しくなる生き方なんじゃないか、と私は思っていたりする。
今日の私は70点。そう思うと、そんな悲観するような人生じゃないのかもなあとぬるーいポジティブが身についてきた。