私、家で見付けちゃったの、監視カメラをね。
…なーんて言ったらビックリする?カメラはカメラでもリアルなやつじゃなくて、格好よく言うならば”心の目”ってところかな。
外で無遠慮に振る舞うことはあんまり受け入れられることじゃないと思うのだけど、お家ってセーフティーエリアだから、”ちゃんとした人”の着ぐるみを脱げる場所だと思っていた。
家ではさ、極論、全裸でウロウロしたりトイレじゃない場所でブッてオナラしたって許されるじゃない?あ、私は一人暮らしじゃないんでダメだけど。
でも、もっともっと「良いじゃん、別に~~」ってこと。
例えば、休日に日が暮れるまで起きてこない、とか。そんなことが自分に許可できなかったりする。(さすがに平日と同じ時間に起床していないけど)
休日なのだから、何時に寝たって何時に起きたって、何をしたって何をしなくたって良いはずなのに、”ちゃんと”過ごさなかった自責の念に苛まれる。「休みを無駄にするなんて…」って思っちゃう。
良いじゃんね、休みなんだからどれだけ無駄な時間を過ごしたってさ。
何だか、常に世間体ってフィルターをかけた監視カメラで自分のことを見張られている感じ。ちゃんとしていないとウァンウァンとエラー音がする。
人の目がある場所ならまだしも、家でも『世間の”ちゃんと”』を捨てられないなんて、何か私ナントカ教に洗脳されてんじゃない?私可哀そうじゃない?とふとそんなことを思ったのです。
『頑張らない生き方』とか『自分らしく』とか、すごく憧れているんだけどなあ。
価格:1,595円 |
ここに書かれているのは『頑張るのをやめたら上手くいきますぅ~★』って幸運のブレスレットの広告みたいな話じゃなくて、『頑張るのをやめて、その分求めるものも小さくしませんか?』って提案だ。
良いじゃんそれでって本心から思う。ハイブランドも興味ないし、大きな家も欲しくない(むしろ面倒くさいと思っているし)もん。それよりも身心にゆとりのある生き方の方が私はずっと欲しい。
アレも欲しいコレも欲しいモット欲しい、もっともっと…ってブルーハーツみたいな人間は、頑張るしかないのだろうけど、私はそうじゃないのに。
幼い頃から触れてきた”ちゃんとしなきゃ”教、”頑張らねば”教に植え付けられた思考はなかなかいなくなってくれない。
あぁ、やだ。
もっと気楽に、周りからどう見えたって自分が楽しいなら良いジャーンって生きていきたいのになあ。自分にも他人にも甘々で生きていきたいのに。
頑張らないことを頑張る。
この言葉は今までに何度も見てきて、「何だ、その矛盾する表現は…?」と思っていたけれど、今まさにその真意を実感している気がする。
”頑張らねば”教から頑張って脱会して、頑張らない生き方・考え方を手に入れる。…【頑張る】がゴチャゴチャと渋滞を起こしとる。
『頑張らない生き方』とは辛い事、面倒くさいことは全部やーめた!って生きることでは決してなくて、判断基準に『楽しめるかどうか』という視点を持つことだ、とどっかに書いてあった。”頑張らない”初心者だから、この考えは頭の片隅に置いておきたい。
とりあえず、不安なのか、みんなに置いて行かれる気がするのか、単純にだらしない自分が許せないのか…何なのか知らないけど、休日までも”ちゃんとしないと”って脳に刻まれているってヤベェでしょ。人生100年と長いんだもの、もっと肩の力を抜いて生きていきたいね。