8月某日『断捨離がマイブーム』

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このブログを始めて2つ目の記事だけれど、1つ目の記事は素人ブログなのに意気込みとかを語っちゃったりしたから(ひえ~恥ずかしい!!)、今回の記事が実質1記事目である。

 

何か「自分とはこんな人間です!」的なことを語りたいと思ったのだけど、米粒1つほども浮かんでこないので、ここ数年続けている断捨離のことを語ることとする。

 

ここ数年、ずっと断捨離をしている。昔のことすぎてきっかけはもう忘れてしまった。

 

サクッと捨ててしまえば良いのに、銭ゲバ精神が発動してえっちらほっちらリサイクルショップに持って行っている。その度に買取金額にガッカリするけれど、これが遺品だったら逆にお金がかかるのだから少額でも感謝することにしよう!といつも自分に言い聞かせている。

 

何よりリサイクルショップがあるおかげで、ただ捨てるよりも手放すハードルがグッと下がっているのだ。やっぱり文句なんて言っているとバチが当たるかもしれない。

 

『断捨離をすると人生が好転する』なんて巷では噂されているけれど、どうだろう。残念ながら、私にはそんな効果が現れていない気がする。

部屋の隅っこに服塚が出来なくなったこと、無駄使いが減ったことは良い変化だけれど、”人生が好転した”と言い切るにはかなり物足りない。

 

手放してきた物はファッション関連や雑貨などの細々した物が圧倒的に多かった。そりゃ、TVやパソコンは複数持つ必要もないし、タンスや机がいっぱいあっても逆に部屋が狭くなって困るし、当然と言えば当然のことなのだけど。

 

買取に持っていく物を詰めてずっしり重くなった袋を持つたびに「ずいぶんとお金を使ってきたのだなあ」と心にもずっしりくる。 断捨離の記事を読んでいると「数を減らしてその分、良い物を買いましょう」とよく書いてあるが、私は今の価格帯の衣類で十分だから、良い物よりは満足できる物を適量、保有していきたいなと思う。

 

断捨離を数年し続けて、思うようになったことがある。

人生の中で自分で選べる物って持ち物ぐらいじゃないか、って。

「人生は自分で選んでいるんだよ」なんて言う人がいるけど、選べるんだったら私は今頃、どこかの国のプリンセスになっているはず。…というのは冗談だけど、望めるのであればそりゃ超大企業に勤めたい人生ではあった。挑戦は自由だけど、手に入るかどうかはまた別だなあと思う。

 

でも、物は要る・要らないを自分で判断して手に取ることが出来る。
なのに、見回したって「好きだから残しておきたい」なんて思える物はごく僅かしかない。「100万円あげるから要らない物全部捨てて買い替えたら?」と提案されたら、ほとんど捨ててしまえる気がする。

 

断捨離をしながら「そんな風にどうでも良い物にお金を使っておきながら、すっごく魅かれた物がちょっと良いお値段だったら諦めたりして、なんか馬鹿みたいだなあ」と思ったりした。どうせお金を使うならば、好きな事や物、自分が気分良くなれる事や物に使いたい。

 

今はまだ容量オーバーだから、捨てて、捨てて、捨てて、買う、ぐらいが丁度良い。そうしていつの日か、持ち物が好きな物や大事な物ばかりになっていれば良いな。そんなことを思いながら今日もまたチマチマと断捨離に励んでいる。ブームはもうしばらく続きそうだ。

 

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