伊坂幸太郎の【アイネクライネナハトムジーク 】って何かの呪文みたいなタイトルの小説を読んでいた時のこと。
作中に免許証の更新のシーンが出てきて、私は何故だか自分の免許取得の時のことを思い出していた。
周りがみんな10代で免許を取っていたから、何か分からなけれど、私も20代に突入する前に免許が欲しくて、受講の予約をバンバンに入れて、必死こいて念願の免許を取得したのが20歳になる3週間前のことである。
大人の私からすると『くだらない~!』って心底思うのだけど、当時の私はなんか「10代で取るぞ」ってことにすごいこだわってしまっていて。
本当、今思うと19歳で取ろうが、20歳で取ろうが、全然変わらんよ~って笑っちゃうんだけど。
むしろ、免許更新の仕組み的には、誕生日をすぎてすぐに取得するのが1番お得で、1年近く免許の期限を損しちゃっているしね。
きっと気が付いていないだけで、10代でなくなった今も妙なこだわりやプライドがたくさんあるのだと思う。変なところで競争心が焚きつけられちゃったり。
大抵の事ってそんなにこだわっても辿り着く結果はあまり変わらないんだなあと実感すると、ボディーブローを食らっているみたいに心の容量をじわじわ消費させていた変なコダワリや競争心がくだらなく思えてくる。手放せるようになる。
信念は大事だけれど、妙なコダワリなら捨てちゃった方が、その空いた心のスペースが余裕やゆとりになって、どっしり生きていける気がした。
『木を見て森を見ず』じゃないけれど、私は細かいことばかり気になってしまって、後々にあんな小さなことに執着する必要なかったなあと思うことが多い。
物事を大きく見る癖をつけたいなあと思う。
「完璧主義をやめたら他人にも優しくなれた」って経験談を聞いたことがあって、私もそんな風に過ごしていきたい。
私が経営者みたいな舵取りをしなきゃいけない人間だったら困る事もあるだろうけど、私はその他大勢の1人なので『自分に甘く、他人にも甘く』、同じ1秒だったらイライラするよりヘラヘラ穏やかに生きていきたいね。
ずっと、イライラって人にさせられるものだと思っていたんだけど、自分のコダワリや自分本位な期待で勝手に自分がイライラしているだけのこともあるのかもなあと思った。
そう思った瞬間、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、他人に優しい気持ちを持てた気がする。